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2013年7月25日木曜日

18. 既存の著作からの観察子の構造の大幅な変更(2)

次に、ヌーソロジー関連の既存の著作からの変更点のうち、大事なものは、ある観察子の1~12が1セットになって次の種類の観察子の1(あるいは1~2)となっていたのが、ある観察子の1~8が1セットになって次の種類の観察子の1~2となるように変更されたことです。

これにはもう少し説明が要ります。とりあえず、次元観察子の例にとって説明してみましょう。次元観察子は、cave compassと呼ばれる円形の羅針盤モデルでは、

○ψ1(青),ψ2(赤)…180度隔てて互いに向かい合い、角度は22.5度ずつ。
○ψ3(青),ψ4(赤)…180度隔てて互いに向かい合い、角度は45度ずつ。
○ψ5(青),ψ6(赤)…180度隔てて互いに向かい合い、角度は90度ずつ。
○ψ7(青),ψ8(赤)…180度隔てて互いに向かい合い、角度は180度ずつ。

となっています。




つまり、

 ψ1(22.5度)→ψ3(45度)→ψ5(90度)→ψ7(180度)
 ψ2(22.5度)→ψ4(45度)→ψ6(90度)→ψ8(180度)

は、それぞれ円弧が倍々ゲームで増えて行く方式で発展しているということです。それで、ここから次の段階に行く時、つまり、それぞれ、青の流れがψ9、赤の流れがψ10へと発展するとき、「凝縮化」という現象が起きて、

 ψ7→ψ*1
 ψ8→ψ*2

というふうに、自己側のψ7,ψ8がそれぞれ他者側のψ1,ψ2のレベルであるψ*1,ψ*2へと圧縮されるようなことが起きるわけです(この「圧縮されるようなこと」というものがどういうものであるかは、まだ詳しいところは私にはわかりません)。同様に、それより上位は、

 ψ 9→ψ*3,  ψ10→ψ*4
 ψ11→ψ*5,  ψ12→ψ*6
 ψ13→ψ*7,  ψ14→ψ*8

となります。

そして、実は「凝縮化」というのは、ある種の「潜在化」のようなもので、これに相対して、「顕在化」方向に発展していく動きが、

 ψ 7→Ω1,  ψ 8→Ω2
 ψ 9→Ω3,  ψ10→Ω4
 ψ11→Ω5,  ψ12→Ω6
 ψ13→Ω7,  ψ14→Ω8

という動きです。実際には、ψ7はψ1,ψ3,ψ5を、ψ8はψ2,ψ4,ψ6を、それぞれ含んでいますから、顕在化は、

 ψ 7→Ω1,  ψ 8→Ω2

となる、と言う代わりに、大雑把には、

 ψ1~ψ7→Ω1, ψ2~ψ8→Ω2

となる、さらには、

 ψ1~ψ8→Ω1~Ω2

となる、と言ってもいいわけです。これが次元観察子ψ1~ψ8が1セットになって、次の大系観察子Ω1~Ω2となるということの構造的な意味になります。

2013年7月19日金曜日

17. 既存の著作からの観察子の構造の大幅な変更(1)

さて、前回さらりとまとめたヌーソロジー関連の既存の著作からの変更点は、とても大事な点なので、もう少し触れておきましょう。

まず、『2013:シリウス革命』が手元にある方は、p.104~p.107辺りの本文の説明およびp.105の図3をご覧になって下さい。

ここでは、

○プレアデスの内面(ψ1~ψ12)……反性質が存在しているところ
○プレアデスの外面(ψ*1~ψ*12)…反定質が存在しているところ
○シリウスの内面(Ω1~Ω12)………定質が存在しているところ
○シリウスの外面(Ω*1~Ω*12)……性質が存在しているところ

となっています。ところで、ヌーソロジーにおいて、特に重要な概念が「定質」「性質」「反定質」「反性質」および「思形」「感性」それに「凝縮化」です。「思形」「感性」は観察子の種類を超えて観察子番号の9,10のところで登場しますし、「定質」「性質」は観察子の種類を超えて観察子番号の11,12のところで登場します。そして、「反定質」「反性質」は、何らかの形で「定質」「性質」とは反対方向の力を持つようです。

前述した通り、観察子番号は1~12から1~14となっており、凝縮化において1~12が1セットになる考え方も1~8が1セットになる考え方に変更されています。この関係で、上記は、

○プレアデスの内面(α1~α14=ψ1~ψ8=Ω1~Ω2)…………反性質が存在しているところ
○プレアデスの外面(α*1~α*14=ψ*1~ψ*8=Ω*1~Ω*2)…反定質が存在しているところ
○シリウスの内面(ψ1~ψ14=Ω1~Ω8)…………………………定質が存在しているところ
○シリウスの外面(ψ*1~ψ*12=Ω*1~Ω*8)……………………性質が存在しているところ

となるのではないかと考えます。そして、本来、「定質」「性質」は観察子番号の11,12のところですから、観察子番号13,14は「定質の総体」「性質の総体」と言われるようです。それが2段階に凝縮化したものが観察子番号1,2となって表われ、「反定質」「反性質」として扱われることになるのではないでしょうか。

おそらく、

○プレアデスの内面・外面=PSO回路のプレアデス・プレート=人間の元止揚空間
○シリウスの内面・外面 =PSO回路のシリウス・プレート =ヒトの元止揚空間

というふうに対応すると考えています。つまり、『2013:シリウス革命』に描かれていたタカヒマラ・テンプレートは、タカヒマラの全体構造であるPSO回路の7階層バージョン(あるいは4階層バージョン)のプレートの2階層分に相当するというわけです。

2013年7月14日日曜日

16. 観察子の種類と構造の概略

さて、ここで、いよいよヌーソロジーにおける観察子の種類と構造の概略を述べておきましょう。構造と聞いた途端に「難しい!」と感じることはありません。あくまでも、ヌーソロジーにおける壮大な世界観を説明するための、便宜的なモデルのようなものくらいに考えておくのが無難でしょう。ここではおぼろげにでもつかんでおけば十分でしょう。

まず、観察子の種類は、次の4種類があります。

●空間観察子:(自己側)α1~α14、(他者側)α*1~α*14
●次元観察子:(自己側)ψ1~ψ14、(他者側)ψ*1~ψ*14
●大系観察子:(自己側)Ω1~Ω14、(他者側)Ω*1~Ω*14
●脈性観察子:(自己側)Φ1~Φ14、(他者側)Φ*1~Φ*14

『2013:人類が神を見る日』(1997)『2013:シリウス革命』(1999)『光の箱舟-2013:超時空への旅-』(2001)という既刊3部作では、空間観察子、次元観察子、大系観察子までの3種類しかありませんでした。しかも、番号も各々12までしかなく、13は単に1~12の取りまとめ的なものとしてのみ、扱われており、これら1セットが次の種類の観察子の1に候するとのことでした。結局、簡単にまとめると、以下のように、変更になったというわけです。

○4種類目の観察子として「脈性観察子」Φが追加された。
○各観察子が1~12⇒1~14へと変更された。
○1~12が1セットで次の1となる⇒1~8が1セットで次の1~2となる。

そもそも、『2013:シリウス革命』p.172では、

●空間観察子…主に「物質」の次元で使われる。
●次元観察子…主に「意識」の次元で使われる。
●大系観察子…主に「イデア」の次元で使われる。

とされており、キリスト教の父と子と聖霊ならぬ、物質と意識とイデアという三位一体(トリニティ)の構造を作っているとしていたのでした。とすると、脈性観察子は、何の世界を説明することになるのでしょうか。もし、これが、

●脈性観察子…主に「生命」の次元で使われる。(個人的予想)

だとしますと、非常に面白いことになるわけです。つまり、イデアを超えているのが生命ということになるわけです。そう言われても、一体何を言っているか思考が停止してわからなくなりますが、ついつい精神と物質の関係を無機質的なものに考えがちな私たちにとっては興味深い観点を与えてくれることになるかもしれません。

この空間観察子、次元観察子、大系観察子、脈性観察子という4種類の観察子は、それぞれプレアデス、シリウス、オリオン、シリウスの上次元という一見天文関連の言葉のような4種類の精神の構造とも関係し、さらにそれらは、人間、ヒト、真実の人間、ヒトの上次元(もしくはヒトの総体)の精神の内部構造と関係するようだ。私たちのごくふつうの常識では、プレアデス、シリウス、オリオンという言葉は、それぞれ牡牛座の一部を構成する星団、恒星、星座もしくは星雲の名前でした。しかし、コウセンさんがオコツトと呼ばれる謎のソース源からチャネリング的に受け取った情報である「シリウス・ファイル」における独特の文法構造である「シリウス言語」の文脈の中では、それらはある種の段階の精神の構造に対する呼称のようなものと捉えた方がいいと考えます。

もう一度簡潔にまとめておくと、対応性は、

●空間観察子⇔プレアデス   ⇔人間の精神の内部構造
●次元観察子⇔シリウス    ⇔ヒトの精神の内部構造
●大系観察子⇔オリオン    ⇔真実の人間の精神の内部構造
●脈性観察子⇔シリウスの上次元⇔ヒトの上次元の精神の内部構造

という感じになります。これが果たしてそのままイコールになるか否かは十分な検討が必要となると思われます。宇宙のすべての存在とも言えるタカヒマラの構造に対する、現時点での最新モデルである「PSO回路」(7階層バージョン)では、

●空間観察子:α1~α8,α*1~α*8⇔スマル・プレート(プレアデス・プレートの下位構造)
●次元観察子:ψ1~ψ8,ψ*1~ψ*8⇔プレアデス・プレート
●大系観察子:Ω1~Ω8,Ω*1~Ω*8⇔シリウス・プレート
●大系観察子:Ω9~Ω10,Ω*9~Ω*10⇔オリオン・プレートのサターン・ルーラー・プレート
●大系観察子:Ω11~Ω12,Ω*11~Ω*12の前半⇔オリオン・プレートのウラヌス・ワーカー・プレート
●大系観察子:Ω11~Ω12,Ω*11~Ω*12の後半⇔オリオン・プレートのネプチューン・スイマー・プレート
●脈性観察子:Φ1~Φ14,Φ*1~Φ*14⇔セブン・サンズ(七つの太陽系)・プレート

という対応になっています。これらについては、機会があれば、もう少し丁寧に見ていくことにして、ここでは名称程度にとどめて、詳しい説明は保留にしておきましょう。






2013年7月10日水曜日

15. ノウスとノス

ここで、以前「ヌース」の意味のところで採り上げた、シリウス言語の「ノウス」と「ノス」について触れておきましょう。この説明には、「ケイブユニバース」(洞窟宇宙)の図を用いるのがわかりやすいでしょう。

簡単に言えば、この宇宙を構成する2つの力の流れがあって、それらをそれぞれ青と赤の流れに喩えて描くなら、先行する宇宙の能動力が青の流れで、これを「ノウス」(NOUS/NOOS)と呼びます。これは、いわば創造の力です。この創造を受け取る受動的な力が赤の流れで、これを「ノス」(NOS)と呼びます。

ちなみに、『NOOS LECTURE 2009-2010 LIVE DVD Vol.2』の中で、ノウスとノスについては、シリウス・ファイルからの直接引用として、こんなふうに述べられています。

●ノウス(NOUS/NOOS)
等化として作り出していく力のすべて。次元が働きの方向性を変えるときに生まれるもの。止核精神を拡散させ、表相の対化を顕在化させる。位置の開花を起こさせていくもの。回転力。旋回力。ノウスとヌースは全く同じ意味を持つ。

●ノス(NOS)
中和として作り出されていく力のすべて。表相を見つめさせているもの。人間が持った反性質の本質力。人間に人間の外面の意識の方向をもたらしているもの。ただし、ノスは意識進化自身には交差を行えない。人間の創造活動や自我を生み出すためには必要なもの。力の抽出を操作するもの。ノスが下次元の交差を行い、ノウスは上次元の交差を行う。ノウスの逆性が物質(人間の内面の意識)で、ノスの逆性が意識(人間の外面の意識)。ノウスとノスを等化するときに生み出されるものが有機体ノウス。ノスとは有機体。

これでは少し難しすぎますので、もう少しわかりやすいものを、他から引用させて頂きましょう。

この「ノウス」と「ノス」という2つの力の流れは、いわば、宇宙の2種類のセクシュアリティーと言えるものです。そのことについて、『2013:シリウス革命』の中で、まず、人間におけるセクシュアリティと関係づけて、前書きとしてこんなふうに語られています。

「古代人たちの世界観はとてもセクシュアルだ。太陽と月の結婚、イザナギとイザナミの交わり、プルシャとプラクリティーの結合など、そこには、つねに性的官能を意識した宇宙観が見てとれる。そして、彼らは、その官能的な眼差しを、火と風と水と土など、自然の中のありとあらゆる光景の中に注ぎ込み、万物の底辺でうごめくエロスの胎動をじかに感じ取ろうとしていた。つまり、彼らにとって、セクシャリティーとは宇宙の始源とダイレクトにリンクした神話的要素だったのである。」(『2013:シリウス革命』p.335)

私たち、近代以降の「人間」にとっては、「セックス」だとか「性欲」といった言葉自体、公の場で使うこと自体憚られるような「気恥かしさ」を持っています。文明人であればあるほど、表ではそのことを隠しておかなければいけないような風潮があるのではないでしょうか。こうした「気恥かしさ」自体が、純粋な躍動的エネルギーであった、その根底にある、創造の力をすっかり覆い隠してしまったとも言えます。このことは、よく「権力」との関係としても採り上げられるテーマでもありますが、ここではそのことは置いておきます。

とにかく、こうした前書きを踏まえて、オコツトとの交信記録として、人間の男女の性欲の違いに関して、こんなやり取りを載せています(コはコウセンさん、オはオコツト)。

コ「人間が持つ性欲とは何なのですか。」
オ「ノウスとノスのことです。」
コ「ノウスとノスとは何ですか。」
オ「周回作用の対化における核のようなもの。」
コ「周回作用の対化とは?」
オ「タカヒマラにおける意識の流れの核に当たるものです。精神の対化を生み出すために作り出された付帯質の変換を行っている二つの方向性の力。」
コ「つまり、それは反定質と反性質を意味しているのですか?」
オ「そうですね、同じものだとも言えますが少し違います。ノウスとノスは反定質と反性質を作り出している力の本質のようなものです。」
(『2013:シリウス革命』p.336)


この後、ノウスとは女性の性欲、ノスとは男性の性欲のことであり、周回作用の方向性としては全く逆方向に働かされているものだと述べられます。逆に言えば、ノウスとは宇宙の原初的女性性、ノスとは宇宙の原初的男性性と言えるものなのかもしれません。は、前述の「ケイブユニバース」の図を用いて言えば、宇宙には、大きな2種類の流れがあって、それは反対方向に周回していて、その2種類の流れが激しくぶつかり合うのが、私たちが意識しているこの「時空」だと言うわけです。

「目覚めると雷鳴の巣のなかにいた」

コウセンさんとも親交の深い詩人である河村悟さんのそんな詩を思い出します。それこそが、私たちがまさしくリアルだと感じている、この「時空」のことなのではないか、と。

2013年7月5日金曜日

14. 宇宙のすべて=タカヒマラという構造

ここで、観察子の背景にある世界観をもう少し眺めておきましょう。まずは、タカヒマラについてです。

ヌーソロジーでは、およそ存在と呼べるもの、そのすべてを送り出している宇宙精神のシステムのようなものを「タカヒマラ」と呼んでいます。このタカヒマラというのは、要するに、宇宙のすべてとも言えるものですが、実はそれはどこかの特別な場所ではなく、まさしく私たちがふつうに生きて暮らしている、いまここの現場のことです。

このタカヒマラの構造を表現するモデルは、これまで幾度も変遷してきました。最初に、『2013:人類が神を見る日』(1997)p.69の図3-1として登場したものが、青と赤の2本の二重螺旋の絡み合いのような定在波的なモデルでした。この2本の青と赤の定在波的な力の流れは、それぞれ定質と性質と呼ばれ、さらにそれに抗うな力の流れとして反定質と反性質と呼ばれるものが示されていました。

次に、『2013:シリウス革命』(1999)p.32の図3として登場したものが「タカヒマラ・テンプレート」と呼ばれるもので、定質と性質の流れを表す、水平方向の2枚のC型プレートからなる「シリウス・プレート」と、で、反定質と反性質の流れを表す、傾斜方向の2枚のC型プレートからなる「プレアデス・プレート」で構成されました。

続いて、『光の箱舟-2013:超時空への旅-』(2001)p.25の図2として登場したものが「ケイブ・ユニバース」と呼ばれるものでした。これは、7つのホロノミーからなる、ウロボロス的な円環構造です。ここで、「ウロボロス的」と言っているのは、自分の尻尾を食うウロボロスの蛇のごとく、7つ目のホロノミーが1つ目のホロノミーにリンクするような構造になっているからです。

最後に、一番最新のタカヒマラのモデルが、ネット上の旧ヌースアカデメイア・サイトで公開されていた「PSO回路」です。これは、この頃から次元観察子の説明によく用いられるようになった「ケイブコンパス」(cave compass)の連鎖で繋げていくようなモデルであり、どこを切ってもケイブコンパスという感じの構造です。「PSO回路には、空間観察子α、次元観察子ψ、大系観察子Ω、脈性観察子Φという、単純に4枚のプレートで構成される「4階層バージョン」と、プレアデス・プレートが2枚(空間観察子αによるスマル・プレート、次元観察子ψによる狭義のプレアデス・プレート)、シリウス・プレートが1枚、オリオン・プレートが3枚(大系観察子Ω9~Ω10のサターン・ルーラー・プレート、大系観察子Ω11~Ω12前半のウラヌス・ワーカー・プレ-ト、大系観察子Ω11~Ω12後半のネプチューン・スイマー・プレート)、脈性観察子Φによるセブン・サンズ・プレートが1枚という、合計7枚のプレートで構成される「7階層バージョン」があります。ここでは、7階層バージョンの図を採り上げておきましょう。

以上は、宇宙のすべての存在を構成するタカヒマラの構造を理解するために、各観察子が便宜的に巧妙に配置したモデルであり、新しいモデルが提示されるほど、より単純化された、わかりやすいものとなっているように思います。

13. 観察子の背景にある世界観

それでは、ヌーソロジーにおいて「観察子」と呼ばれるものとは何でしょうか。『2013:シリウス革命』(1999)にこんな記述があります。

「普通、僕らは宇宙や意識が物質から発生しているものと考えているが、彼らの考え方は、それらをすべて空間の構造に由来するものとして考えている。ファイルの中でオコツトが「意識とはカタチの反響です」と言ってるのも、彼らのそういった世界観からくるものだ。そのため、彼らにとって、意識構造と空間構造という概念は全く同じ意味合いを持っている。事実、オコツトはタカヒマラのことを意識の次元階層とも呼んだし、空間が持つ次元の階層性という言い方もした。そして、そもそも「次元」という概念自体が、純粋幾何学的なものであり、本来、幾何学というのは、意識が生起するための空間構造として成立しているというのだ。つまり、彼らシリウスの知性にとって、意識とはある一つの巨大な幾何学構造体なのである。そして、彼らは、この構造体を組み立てている空間的部材に対して、「観察子」という概念を用いているのである。
 「観察子」という言葉はちょっと、とっつきにくいかもしれないが、次のように考えると理解しやすいだろう。
 僕ら人間の世界では、宇宙の構造を解明するために「粒子」という概念を用いている。粒子とは、宇宙が物質でできているという考え方にもとづいて作り出された概念であり、実際、物理学や化学といった学問では、物質を分子や原子、そして素粒子に分解し、宇宙で起こる様々な現象の本質について探っている。これらとは対照的に、オコツトたちは、宇宙とは空間、つまり、さきほどの言い方を用いれば、意識で作られていると考えている。そして、その意識の仕組みを分析するために使用されているのが、この観察子という概念だと考えてほしい。そして、物質粒子に、原子や分子といった種類があるように、観察子にも、空間観察子や次元観察子や大系観察子などといった分類を設けているわけだ。」(『2013:シリウス革命』p.107~p.108)

要するに、この「意識構造と空間構造を同じものとして見る」という考え方を用いて、ヌーソロジーは物質と意識の統一を目論んでいるわけです。そして、こんなことが書かれています。

「前頁の脚注欄にある図を見てほしい。この三角形は、シリウスの宇宙観にとって、意識と物質がどのような仕組みによって構造化されているかを最も単純化して表したものだ。この三つの球体はそれぞれ、物質、意識、イデアを表している。イデアとは平たくいうと、数や幾何学が支配する完全な思考世界のようなものだと思ってもらえばいい。
 図にある通り、オコツトたちにとっては、まず、物質世界は意識世界の一部になっており、次に意識世界は、イデアの世界の一部に含まれたものとなっている。そして、面白いことに、最も上次元であるはずのイデア世界が、今度は、元の物質の世界にそのまま組み込まれているような構造になっているわけだ。
 この三位一体(トリニティ)の関係は、僕らが物質と呼んでいるハードなリアリティが、実は、観念によって生み出されたイデアの影のようなものでしかないということを物語っている。オコツトによれば、これら、物質、意識、イデアという三者は、タカヒマラにおいては全く対等な存在であり、それぞれが相互に補完し合って成立させられているというのだ。この図では、かのプラトンが主張したほどイデア世界の絶対性は強調されてはいないが、いずれにしろ、シリウスの宇宙観が、物質世界をイデアの写し絵だと見る古代の伝統的な宇宙観にきわめて似ていることは確かなようだ。」(『2013:シリウス革命』p.110)

ちなみに、この前頁の脚注欄にあるイデアと意識と物質という3つの球体を頂点とする三角形の図を見て、すぐに、次の「ペンローズ三角形」およびそれを駆使したペンローズの3つの世界の関係の図を思い浮かべた人は、かなりの情報通かもしれません。

3つの世界と言えば、よく精神と物質という2つの世界の間に生命を置いたりします。カール・ポパーは、精神的世界と物質的世界に文化的世界を加えています。これに対して、数学者ペンローズは、複数の著書の中で、精神的世界(Mental World)と物質的世界(Physical World)にプラトン的世界(Platonic World)を加えて、しかも、それを、まるで、ジャンケンのグー・チョキ・パーの三つ巴関係にも似た、捩れを持った三角形である「ペンローズ三角形」の3つの頂点として描いています。ペンローズにとって、このプラトン的世界とは、数学的な世界のことのようです。

では、ヌーソロジーのイデアと意識と物質が、そのままペンローズのプラトン的世界と精神的世界と物質的世界に綺麗に対応するかと言えば、似ているとはいえ微妙で、そもそもヌーソロジーでは「精神」という言葉自体を、「対化を等化する力そのもの」として、私たちが通常「精神」と呼ぶものよりも、広範囲というか、むしろ幾何学的なものとして捉えており、意識とは上位の精神構造によってもたらされるある種の反映物と言った方がよさそうです。

さて、イデアと意識と物質は、『2013:シリウス革命』の時点では、それぞれ綺麗に、イデアが「大系観察子」Ω、意識が「次元観察子」ψ、物質が「空間観察子」αというように、観察子の種類の違いとなって対応していました。今は、まるでこの「ペンローズ三角形」を眺める視点を加えて「ペンローズ四面体」とでも拡張するかのごとく、「脈性観察子」Φが追加されています。

2013年6月27日木曜日

12. ルビンの壺とヌーソロジー

さて、これからヌーソロジーにおける「観察子」と呼ばれるものの構造の概略について説明する前に、まずは、次の図を見て下さい。

 
左上の図は、デンマークのE・ルビン(Edger Rubin)という人が1921年に発表した「盃と顔図形」です。これは、通称「ルビンの壺」と呼ばれる、心理学の本などに登場する錯視図形として有名な図です。右上の図は、白黒を反転させた「ルビンの壺」です。これは、「壺」の図に焦点に合わせて見ているときは「向かい合う2人の顔」が見えず、逆に、「向かい合う2人の顔」の図に焦点に合わせて見ているときは「壺」が見えなくなるという構図です。

もう少し厳密に言うならば、「壺」を「図」、「向かい合う2人の顔」を「地」として見ているときは、「図」である「壺」は見えても「地」である「向かい合う2人の顔」は見えないのですが、反対に「向かい合う2人の顔」を「図」、「壺」を「地」として反転させて見てみると、今度は「図」である「向かい合う2人の顔」が見えて「地」である「壺」が見えなくなるというわけです。
実はこの「ルビンの壺」の構図に、今回お話をさせて頂くヌーソロジーのとても大事なものが語られています。
   

ヌーソロジーは、端的に言ってしまえば、わたしとあなた、つまり、自己と他者の、モノをめぐる認識から始まる宇宙論(Cosmology)と言えると思います。これはどういうことかと言いますと、かなり大雑把な言い方になりますが、あなたからわたしへ、わたしからあなたへという視線を交換する現場がモノであるというわけです。


この意味については、追々説明していくことにしましょう。

2013年6月18日火曜日

11. ヌーソロジーを理解する手掛かり

それでは、ここで「ヌーソロジー」というものを何らかの形で知った方が、一体ヌーソロジーとはどのようなものであるか、その内容等を自分なりに勉強し、理解するには、どのような手掛かりがあるでしょうか。

まず第一の手掛かりとして存在するのは、単純に「既刊の単行本を読む」という方法です。ところが、この誰もが真っ先に思いつく最も単純な方法が実は意外と手のかかる方法であるのは、既刊のヌーソロジー関連の書籍の大半が2013年現在絶版になっているからです。具体的に列挙しておきましょう。

○既刊の単行本を読む(ほとんどのものは、現在中古本でしか手に入らない)。
⇒『2013:人類が神を見る日』(半田広宣・著、徳間書店、1997、絶版)
  『2013:シリウス革命』(半田広宣・著、たま出版、1999)
  『光の箱舟-2013:超時空への旅-』(半田広宣&砂子岳彦・共著、徳間書店、2001、絶版)
  『超知ライブラリー SCIENCE 004  2013:人類が神を見る日 アドバンストエディション』(半田広宣・著、徳間書店、2008、絶版)
  『2013:The Day God Sees God 』(Natural Spirit International、2008)

第二の手掛かりとしては、単行本が見つからないなら、単行本に代わるような「既刊の雑誌や電子書籍を読む」という方法です。これもまた、既刊のヌース雑誌『phonio』については、いずれも絶版になっており、手に入りにくい状況です。したがって、実際に残る方法としては、ヌースアカデメイアから出版されている既刊の電子書籍を読むという方法になります。

○既刊の雑誌を読む(ほとんどのものは、現在中古本でしか手に入らない)。
⇒雑誌『phonio vol.1』(ヌースアカデメイア、2002、絶版)
  雑誌『phonio vol.2』(ヌースアカデメイア、2003、絶版)
  『変換人のためのヌース用語辞典』 』(ヌースアカデメイア、1994、絶版)
○既刊の電子書籍を読む。
⇒『2013:人類が神を見る日[digital edition] 』(ヌースアカデメイア、 2013)
  『The Ark Of Photon(光の箱舟)[digital edition] 』(ヌースアカデメイア、 2010)

続いて、第三の手掛かりとしては「ヌースレクチャーDVDを鑑賞する」という方法があります。やはり最新のものがよろしいので、「NOOS LECTURE LIVE 2009-2010」シリーズを収録したDVDがいいでしょう。もちろん、お金に糸目をつけないなら「NOOS LECTURE LIVE 2009-2010」シリーズ全13巻のセットがベストです。

○最新のヌースレクチャーDVD(NOOS LECTURE LIVE 2009-2010収録)を鑑賞する。
⇒『NOOS LECTURE LIVE DVD 2009-2010 limited box edition 【50セット限定生産】 』(13巻セット)
  『NOOS LECTURE LIVE DVD』Vol.1~Vol.12 『NOOS LECTURE 2010 FINAL EVENT DVD』(Vol.13)

次に、第四の手掛かりとしては、以前「ヌーソロジー関連のサイト」でもご紹介した以下のテクスト系サイトがお薦めです。

○ネット情報(テクスト系サイト)を見る。
⇒cave syndrome…半田広宣氏のブログ。
  ヌースアカデメイア公式サイト(現在更新停止中)
  ヌースアカデメイアブログ…アカデメイアスタッフによるアカデメイア活動状況などの最新情報。
  ヌーソロジーロッジ(公式SNS)…半田広宣氏も参加されている情報交換の場。
  半田広宣氏のフェイスブック(SNS)
  ヌーソロジーロッジのフェイスブック(SNS)
  その他、個人の良質のファンサイト及びブログ

同様に、第五の手掛かりとして、動画系サイトを探してみるというのも、一つの手です。

○ネット情報(動画系サイト)を見る。
 …最新のヌースレクチャーや半田広宣氏の講演会の模様の動画を検索して視聴する。
 (例)ヌースレクチャー in フィロソフィア
  http://www.youtube.com/watch?v=sGg2MSU3J4k
  http://www.youtube.com/watch?v=dYDyrdFLvSY

そして、第六の手掛かりとして、「ヌーソロジー関連のレクチャーや講演会、勉強会などに参加する」という方法もあります。

○ヌースアカデメイア主催のレクチャーやアトリウム(ややラフなスタイルの勉強会)に参加する(講師:半田広宣氏)。

○時折開催される半田広宣氏の講演会に参加する。

○各地で開催されている自主勉強会や情報交流会に参加する(講師はたいていの場合は主催者)。
⇒東京ヌース倶楽部(東京)
  関西ヌーソロジー研究会主催のヌーソロジー教室(大阪・京都・神戸)
  勝手にヌーソロジー攻略研究会 in 関西(大津)
  ヌーソロジー情報交流会 "Cafe 2013"(大津)
  福岡ヌーソロジー研究会(福岡)

ここまで来たらまさしく最後の最後の手段、第七の手掛かりが「コウセンさんに直接お会いする」という方法です。もちろん、コウセンさんも何かといろいろお忙しい方ですので、社会人であるなら、アポなしで出向くというのは当然ご法度です。また、ヌーソロジーを全く知らないのに出向いても意味がないでしょうから、これは他の方法である程度ヌーソロジーを勉強した上で、自分なりに作成した資料などを持ち込んで、どうしても直接会って質問をしたい場合などに限るでしょう。

○半田広宣氏に直接会う(最終手段)。
 ・・・ヌースアカデメイアの事務所宛てにメールをして半田広宣氏に直接会いたいという旨を伝えてOKが出た場合のみ、直接会いに行く(もちろん、事前に会う目的を伝えておく方がいいだろう)。
  [mail] info@noos-academeia.com

以上の七つが、私が思いつく「ヌーソロジーを理解する手掛かり」です。よろしかったら、ご活用してみて下さい。

2013年6月16日日曜日

10. ヌースとは超ひものこと?

さて、最近の宇宙論として登場する理論の一つに、「超ひも理論」あるいは「超弦理論」(superstring theory)というものがあり、みなさんもご存知かもしれませんが、ここに登場する「ひも」というものが、面白いことに、この古代ギリシア語の「ヌース」(旋回する知性)のイメージに極めて似通っているのです。

最新の現代物理学によれば、私たちの宇宙は、「フェルミオン」と呼ばれる物質粒子と、「ボゾン」と呼ばれる力を媒介する粒子でできていると言われています。超ひも理論によれば、そうした2種類の量子は、さらに「開いたひも」と「閉じたひも」と呼ばれる2種類のひものような存在から成り立っており、これらのひもは光速でぶんぶんと回転していると言うのです。



(川合光・著『はじめての〈超ひも理論〉 宇宙・力・時間の謎を解く』p.29~30より)

この光景は、まるでアナクサゴラスが言っていたこととほとんど同じではありませんか。

2013年6月15日土曜日

9. ヌースとは何か?

さて、いよいよ古代ギリシア語の「ヌース」という言葉ですが、この「ヌース」という言葉を最初に使ったのはギリシアのアナクサゴラスという哲学者だそうです。ギリシアのソクラテス以前の哲学者たちが言っていることは、言葉の断片しか今では残っていないのですが、そのうち、本人の著作からの断片と言われる「真正断片」というものがあります。その中で、アナクサゴラスはこんなことを言っています。

「あらゆるものは一緒になってあったが、それらは、その数においても小ささにおいてもともに無限である。小さささえ無限であったからだ。そして、すべてのものが一緒にあった間は、何ひとつとして、その小ささの故に、目に見えはしなかった。それというのも、空気とアイテルとが――これらはともに、無限なものである――、すべてのものに勝って優位を占めていたからなのだ。すなわち、これらは、ものの全体のなかで、数の点でも、量の点でも、最多のものだからである。」(アナクサゴラス 真正断片1)
(廣川洋一・著『ソクラテス以前の哲学者』p.309より引用)

アナクサゴラスは、あらゆる物質は無数の何かからできていると考え、これに「種子」(スペルマータ;spermata)と名付けました。「スペルマータ」とは今で言う「スペルマ」(精子)のことです。

「知性(ヌウス)は無限で独立自存し、何ものとも混合せず、ただひとり、それ自身で、自らのもとにある。……(中略)……また知性は回転運動全体を支配したから、原初において回転運動が生じたのだ。最初、小さな領域から回転運動が生じたが、今ではより広範囲にわたって回転運動が行われ、これから先もいっそう広い範囲にわたって回転運動が行われることだろう。そして、混合されたもの、切り離されたもの、分離されたもの、これらのもの一切を、知性は知ったのだ。また、あろうとしていたかぎりのもの――すなわち、かってあったもの、今あるもの、これから先あるであろうもの――の一切を、知性は秩序づけたのだ。……(後略)……。」(アナクサゴラス 真正断片12)
(廣川洋一・著『ソクラテス以前の哲学者』p.313より引用)

宇宙には最初、「スペルマータ」と呼ばれる、目に見えないくらい小さな無数の種子が1つになっている状態であり、混沌としていました。そこに、ある原理による作用として、小さな渦巻きができます。その渦巻きがどんどん大きくなって、いくつもに分かれ、私たち自身や私たちが見ているこの世界が出来上がったというのです。この作用を引き起こす原理こそが「ヌース」(nous)と呼ばれる精神・知性です。要するに、「ヌース」という秩序を持った精神が現れて、それが旋回するようにしてその種子から宇宙を練り上げていった。そういう考え方がアナクサゴラスの考え方です。

「あらゆるもののうちに、あらゆるものの部分があるが、知性(ヌウス)は別だ。だが、その知性もまた内在するようなものがいくつかある。(断片11)
そして知性が運動を創始したとき、知性は動かされたものの一切から切り離され、知性が動かしたかぎりのものはすべて分離された。ものが動かされ、分離されるうちに、回転運動は、さらにいっそう分離をひき起こすことになったのだ。(断片13)
だが、つねにあるものである知性は、他のすべてのものもまたあるところに、すなわち、まわりを取り囲む多(原初の集塊)のうちにも、またこれまで結合されたり、分離されてきたもののうちにも、今なお確かにあるのだ。(断片14)」
(廣川洋一・著『ソクラテス以前の哲学者』p.313~p.314より引用)

半田広宣氏は、『NOOS LECTURE LIVE DVD 2009-2010 Vol.2』の中で、こんなふうに語っています。

「つまり、知性によってこの宇宙は創られたという考え方をして、その知性をヌースと呼んだわけです。この旋回する、スピンするというのは、ある意味プラトンを代表とするギリシアの哲学者たちにとって「神は宇宙を回転することにより創り上げた」という考え方はある意味オーソドックスな考え方です。つまり、回転が宇宙を創り出したのだ、ということです。そういった意味で、この回転を使って宇宙を創造したということで、ヌースはぐるぐるぐるぐる旋回するわけですから、「神の知性」とも呼ばれることになります。「旋回する知性」、つまり、かざぐるまのように、知性の力が風の力だとしたら、風を与えると、ぐるぐるぐるぐる回り出して、それこそ回りながら上昇していく、そういうような知性のイメージです。それで、「創造する知性」「最初の知性」「イデアを対象とする知性」と呼ばれることもあります。ここで言う「イデア」とはプラトンの言うイデアとは少しイメージが違うのですが、いわゆる宇宙を創り出した本質的な理念のことです。つまり、神の対象物と言ってもいいのですが、神がこう対象を創り上げていくことがある意味、宇宙の創造だとしたら、その創造していくために扱う対象というのがイデアになります。だから、ヌースの対象はイデアなんです。つまり、ヌースはイデアを対象とするということです。」

つまり、ヌースとはこの宇宙を創り出した「旋回する知性」だというわけです。

8. そもそも、ヌースとは何なのか?

それでは、このヌーソロジー(NOOSOLOGY )=「ヌース学」、およびその前身である旧「ヌース理論」が冠する「ヌース」(NOOS)とはそもそも何なのでしょうか?

ヌースの呼称のそもそもの由来は、前述した半田広宣氏と謎の意識体であるオコツトとの交信記録である「シリウス・ファイル」で用いられているシリウス言語に、「ノウス」という言葉があって、それに対する「ノス」という言葉とともによく登場する言葉です。

シリウス・ファイルの交信記録19910530として、こんなやり取りの記述があります。

「ノスとは。」「人間の意識に方向をもたらすもの。ノスとは見えないものに動かされている力。カタチが上次元に返らないもの。対化によってカタチを変えるもの。ノスとは付帯質を持つもの。ノスとは抽出を操作するもの。」

「僕が次元の構成を組み立てている力もノスの働きですか。」「もちろんそうですノスがあなたがたを意識に関与させています。」

「悪い働きというわけではないのですね。」「そういうものではありません。」

「しかし、エゴを作り出しているのもノスなのでしょう。」「もちろん、そうです。ノスは人間自身によって生み出され人間自身によって操作することができます。」

「ノスが生まれていない人間もいるのですか。」「人間はノスがなければ生きていけません。ノスとは内面性を司る一つの力と考えて下さい。ノスを等化することにより生み出されるのがオリオンです。ノスはノスが等化することによりオリオンがノスを操作することができます。」

「オリオンの反対のような存在ですか。」「ある意味で近いかもしれません。」

「スマルとノスはどうちがうのですか。」「ノスの反映がスマルです。ノスはスマルも持つことができるしオリオンを持つこともできます。」

「中性的な存在ということですか。」「ある意味ではそうです。」

「ノウスとは。」「人間自身が持っている力。」

「ヒトや真実の人間は持っていないのですか。」「持っています。しかし、人間が持っているものとは全く違います。ノウスはガン細胞のようなものという言い方もできます。ノウスが生み出されることにより多くのものが失われることもあります。」

「ノウスとはノスの対化と考えてよいのですか。」「オリオンにおいてはそのようにいうことができます。ノウスとノスは逆方向。」

「あまりよい働きではないのですか。」「ノウスが生み出されることにより多くのものが失われ、力が失われるという意味ではあまりよい働きとは言えないでしょう。」

「人間にとってノウスとはすべてと考えてよいのですか。」「ある意味ですべてに存在します。」

こうした実際のやり取りを目の当たりにすると、半田広宣氏と謎の意識体であるオコツトのやり取りがいかに大変なものであったか、少し察しがついたのではないでしょうか。

こうしたやり取りに登場するノスとノウスというペアの言葉におけるノウスがそもそもの語源というわけです。このやり取りを読んでいると、何だかノウスが人間にとって悪いもののように錯覚しますが、後でわかるように、このノウスとは「宇宙の創造の力」と言っていいものです。

半田広宣氏の話によれば、このシリウス言語の「ノウス」という言葉が持つ意味を大切にしながら、既に同じ響きを持った言葉が、世の中に存在していないだろうかと探索したところ、ちょうど古代ギリシア語に「ノウス」(NOUS)という言葉があって、その英語読みである「ヌース」(NOOS)を、この知の体系に冠したそうです。以降「ノウス」は「ヌース」という英語読みで発音することにします。

それでは、一体、その古代ギリシア語由来の「ヌース」とは何なのでしょうか?

2013年6月14日金曜日

7. なぜヌーソロジーを難しいと感じるのか?

さて、ヌーソロジー(旧・ヌース理論)関連の書籍やネット上のサイトをご覧になった方々の多くがよく口にするのが、「ヌーソロジーは難しい」ということです。

では、なぜ「ヌーソロジーは難しい」と感じるのでしょうか。いくつか挙げてみましょう。

○様々な専門分野の知識や情報が必要。

ヌーソロジー自体が多種多岐にわたっていろいろな分野のことを横断的に採り上げていく類のものである性質上、いろいろな話題の中で様々な専門分野の知識や情報が飛び交います。したがって、それらを採り上げている意味を理解しようとすると、どうしてもある程度そうした専門分野の知識や情報を、仕入れて自分なりに理解しておく方がいいのは確かです。

○特に、数学・物理学の数式や、哲学の難解な用語が巧みに使われている。

その中でも、「U(1)変換対称性」だとか「SU(2)変換対称性」だとか「スピノル」だとか、あるいはドゥルーズ=ガタリの「原始土地機械」だとか「資本主義機械」といった用語が、あちらこちらで出てきたりします。また、物理学関連の数式である「シュレディンガー方程式」なども登場します。こうした専門用語や数式は、自分の得意とする畑でなければ、確かに理解することは容易でないかもしれません。

○そもそもソースであるシリウス言語自体が難解!⇒これは、確かに!!!

でも、一番難しく感じるのは、そうした様々な専門分野の用語や数式よりも、むしろ、「シリウス言語」と呼ばれる独特の言語体系です。これは、元々、ヌーソロジーのソースとも言える、半田広宣氏と謎の意識体であるオコツトとの交信記録である「シリウス・ファイル」で用いられているものです。これは半田広宣氏ご自身も何十年もかかって解析し続けている言語体系であり、これを事細かく読み解くのは至難の業ではありません。

○cave compassやPSO回路といったモデルを用いた構造論が展開される。

そうした「シリウス・ファイル」をベースとして、自然科学と人文科学、さらには神秘学の統合を目指して組み立てられていったものが、「ヌーソロジー」(旧・ヌース理論)だというわけです。そこで展開される世界観を説明するために、いくつものモデルが用意されており、それが「cave compass」と呼ばれる円環状の羅針盤モデルだったり、それらの階層的構築物としての「PSO回路」だったりするのです。こうしたモデルの意味合いを理解することは、同時に、ヌーソロジーの世界観を構築していくことにつながっていきますが、このようなモデルを用いた構造論自体が苦手という方もいらっしゃるかもしれません。

そもそも、私たちは、ヌーソロジーをあまりにまじめにそのすべてをわかろうとしていないでしょうか。そのように、最初からすべてを完璧にわかろうとするのは、人間型ゲシュタルトの悪い癖だと言えるかもしれません。

それより、ヌーソロジーはとりあえずどの分野からでもいいから、まず「何となくわかる」ことから始めれば十分なのです。ヌーソロジー自体、いまだ学問として体裁を整え切れていない、まだまだ発展途上の学と言えますので、それほど厳密に考えすぎる必要はないのです。

したがって、自分が最初に「面白い!」と興味を持ったところこそが、あなた自身のヌーソロジーの始まりです。まずは、そういう気軽なところからアプローチするのがベターでしょう。とにかく、貪欲に一気に何もかもわかろうとしないことです。そうしてしまうと、せっかくのヌーソロジーの旨みをわかる前に、食傷気味になるかもしれません。

それより、もっとヌーソロジーは楽しめばいいのです。それこそがヌーソロジーの一番の醍醐味だと言えます。いろいろな矛盾点や整合性などを考えるのは、少しわかってきてからでいいでしょう。既刊の書籍である『2013:シリウス革命』という1000頁にも及ぶ超大作を一気読みすれば、その根底に流れる何とも言えない躍動感を感じることでしょう。その熱い胸の鼓動にも似た躍動感が何であるかを考えていくものこそが、ヌーソロジーだと言えるかもしれません。

6. 「人間」から「変換人」へ

ヌーソロジーでは、私たちがごく当たり前に使い回している観測者と対象を切り離した対象中心の思考様式を「人間型ゲシュタルト」と呼びます。つまり、簡単に言えば、何かモノについて語るとき、わざわざそれを見ている観測者というものを意識しない思考様式です。これは私たちの物の見方・捉え方・考え方にあまりに広く及んでいるため、そうした思考様式の自然な習慣があることすら無意識になってしまっています。

例えば、このペンはどんな素材で出来ていて、何色で、つやがあって、長細くて…といったそのモノ側に特化した特徴だけを採り上げて話したりしますが、そのとき、それを観測しているわたしとの関係性などは、よほどわたしにとって特別なペンでない限り、はなっから度外視していてわざわざ話に含めたりはしません。そもそもモノを語るとき、それを捉えている観測者の話などしないのがふつうではないでしょうか。

これに対して、物事を捉えるとき、具体的にそれを見たり聞いたりしている観測者はもちろん、そもそもその物事を成立させている背景としての観測者を意識する思考様式こそ、ヌーソロジーが重要とする思考様式であり、「変換人(トランスフォーマー)型ゲシュタルト」と呼ばれます。

つまり、物事を「対象」として切り離した存在として見てしまう思考様式を「人間型ゲシュタルト」だとすれば、物事の成立要件を「観察者」と「対象」を1セットにした全体性の中に求める思考様式が「変換人型ゲシュタルト」なのです。これこそが、ヌーソロジーが提示する「変換人型ゲシュタルト」という思考様式です。


もう少しこの「トランスフォーマー(変換人)」というものが、ヌーソロジーにおいて、どのような存在であるかを見ておきましょう。具体的には、レクチャーなどでは、以下のように語られています。箇条書きで並べておきましょう。

○ニーチェが言う、神の下の弱者という受動的ルサンチマン(怨み)として生きる「人間」を超えた「超人」に近いイメージ。
○トランスフォーマーは、空間の中に意識と物質の起源を見る。
○トランスフォーマーは、無意識の構造を対象とする世界に入っていく。
○トランスフォーマーは、物質的知性を精神的知性へと変換していく。
○トランスフォーマーは、新しいビジョンへと移行する両生類的存在である。言ってみれば「次元両生類」というわけです。

みなさんも、一体「トランスフォーマー(変換人)」とはどんな存在であるかを想像してみて下さい。私たち「人間」とは少し異なるあり方をしているのがおわかり頂けますでしょうか。ヌーソロジーでは、私たち「人間」の意識はこれからこの「トランスフォーマー(変換人)」へと向かっていくのだと言います。

言い換えれば、ヌーソロジーとは、この「トランスフォーマー(変換人)」を目指した思考様式である「変換人型ゲシュタルト」という思考様式を自ら組み立てていく分野のものであるというわけです。

2013年6月4日火曜日

5. ヌーソロジーとは?

さて、「ヌーソロジとは何か」ということですが、ひとことで言ってしまうと、次のようになると思います。

ヌーソロジとは、「オコツト」と呼ばれる意識体とのチャネリング情報(「シリウスファイル」と呼ばれる独特の知の体系)をベースとして自然科学・人文科学・神秘学などの統合を目指した思考様式のこと。

この表現が比較的、的(まと)を得ている言い回しではないでしょうか。

昔、2冊目の本である『2013:シリウス革命』の初版本の帯には、「精神世界、ニューサイエンスを超える宇宙論」だと書かれていますが、これではいったいどんな方向の内容が含まれているか、全く類推できません。確かに恰好いい響きではありましたが……。

ところで、このヌーソロジーは、2008年頃までは「ヌース理論」と呼称されていました。しかし、「理論」と付けてしまうと、科学にしろ哲学にしろ、果たして、きちんと「理論」と呼べるような体系になっているかと問われれば、必ずしも「理論」の体裁を整えていないことがわかります。そこで、その後、思い切って、「ヌーソロジー」(ヌース学)と、その呼び名を変えられたようです。ただ、ヌース「学」と付いているからと言って、では果たして「学問」の体裁を整えているかというと、それもまた怪しいところではあります。

では、ヌーソロジーが目指すところ、あるいは、テーマといったものが、どんなところにあるのでしょうか。

簡単に言ってしまえば、それは今までとは全く違う「新しい人間のビジョン(宇宙観・世界観・人間観)を何とか作れないものか?」ということに端を発しています。

その新しい人間のビジョンを作ることが要請されてくる理由として考えられるのは、「近代以降人間の学問が作り上げてきた宇宙観・世界観・人間観は果たして本当なのか?」という疑念です。それは、今の時代に生きている私たちが感じている社会に対する閉塞感から来ているのかもしれません。つまり、「多様化する現代社会の行き詰まりの原因の根幹は、実はそうしたところにあるのではないか? 」という疑念です。

かつて、そうして閉塞的な状況が表われたとき、それを救済するかのように登場したのが、ある特定の宗教だとか哲学に基づく「こう生きるべきだ」「こうあるべきだ」という道徳でした。でも果たして、本当にそうなのでしょうか。「それを守らなければバチが当たる」といったある種脅迫めいた形をとるようなあり方で、本当に、新しい宇宙観や世界観や人間観を描けるのでしょうか。

こうした道徳的な考え方自体が、従来の私たちの考え方の基本になっているわけです。それこそが、ヌーソロジーが「人間型ゲシュタルト」と呼んでいる思考様式なのです。それは突き詰めれば、宇宙を一つに束ねる一者たる神の下で、人間は弱者だとする考え方です。

ヌーソロジーが目指すところは、私たちひとりひとりに対して、まずは人間であるこの思考様式から脱出せよ!と言ってくるわけです。これがヌーソロジーの現在の立ち位置ではないかと思います。

このことは、私たちのヌーソロジーに対する「学びの姿勢」をも要請してくるように思います。

つまり、一方的受け身で、何かの情報を教えてもらうという姿勢ではなく、自ら能動者として関わるというあり方です。

要するに、自ら考えるのではなく、たいして中身を見もしない商品を受け取るのでは、ヌーソロジーを学ぶことにはならないというわけです。簡単に言えば、「自らの思考を手放すな!」というわけです。

したがって、ヌーソロジーに対するあり方も、単に矛盾点をついてただ価値がないものと決め付けるのではなく、むしろ次に自らどう思考するのかを考えることの方が大切であるように、私には思えます。

4. ヌーソロジーの持つイメージ

ところで、このブログを初めて目にした人の中には、いきなり「ヌーソロジー」なる見知らぬ名称が出て来て、それって一体何だろうと、いぶかしげに感じた人もいらっしゃるかもしれません。そこで、「ヌーソロジーとは一体何なのか」ということを、次に見ていきましょう。

この「ヌーソロジとは何か」という問いかけに対してどう答えてよいかが、いかに答えにくいものであるかは、ヌーソロジーを少しでもかじった人ならよく知っています。それは自分の友達だとか知り合いに、「ヌーソロジーって何?」って軽く聞かれて、「こんな感じのものだよ」と軽く返せないことでもわかります。

それは内容がこみいっていて難しいというよりは、ヌーソロジーが包含し得る守備範囲があまりにも膨大であることにもよるかもしれません。

そこで、「ヌーソロジとは何か」をひとことで言ってしまう前に、まずは気楽なタッチで「ヌーソロジーって何?」って聞かれた場合、どんなふうに軽いタッチで答えられるかということをまずは考えてみましょう。

要するに、みなさんがヌーソロジーに抱いている印象あるいはイメージについてです。思いついたままに、少し箇条書きに、以下に羅列してみました。

・トンデモ=精神世界+ニューサイエンス?
・超トンデモ(精神世界からもトンデモ扱い)
・反転思考
・自己-他者関係を基軸とした認識論
・シリウスファイル(オコツトとのチャネリング情報=OCOT情報)をソースとする宇宙論
・四値論理に基づく構造論
・意識幾何学?意識物理学?

だいたいこんなところが主なイメージでしょうか。ヌーソロジーを少しでも知っているみなさんは、ヌーソロジーに対してどういうイメージを持っておられるでしょうか。

この中で「超トンデモ」というイメージですが、これは確かに、『2013:シリウス革命』初版の帯に書かれていた宣伝文句にも表われています。以下に列挙してみます。

・アトランティスとは未来に存在する!
・コンピュータはまもなく全面停止する!
・人間は不死になり、赤ちゃんは生まれなくなる!
・恐竜など存在していなかった!
・この世界は6500年前に誕生した!
・太陽はまもなく消滅する!

これは精神世界系が相当好きな人であっても、「ここまで言うのはちょっと…」と尻込みすらしてしまう文面です。でも、この一見大上段に構えた超ド級のトンデモにしか見えない文面が、もう少し突っ込んで見ていくと、実はそれほどトンデモでもないのかもしれない、と思えてくるような側面もあるのかもしれません。

それらについては、とりあえずここでは保留にしておいて、いずれ機会があれば見てみることにしましょう。

2013年6月1日土曜日

3. ヌーソロジー関連のサイト

ヌーソロジー初心者の方のために、ヌーソロジー関連の主なサイトをピックアップしておきます。

○半田広宣氏tweet(https://twitter.com/kohsen
…半田広宣氏によるtwitterでのつぶやき。

○半田広宣氏ブログ「cave syndrome」(http://www.noos.ne.jp/cavesyndrome/
…半田広宣氏によるヌーソロジー関連の記事および情報。

○ヌースアカデメイア・ブログ(http://noos-academeia.com/blog/
…ヌースアカデメイア・スタッフによるアカデメイア活動状況などの最新情報。

○ヌースアカデメイア・ショップ(http://noos-academeia.com/jp/html/order/order.html#videos
…ヌースアカデメイアで販売している商品を一覧できるショップ・サイト。

○ヌースアカデメイア公式サイト(http://noos-academeia.com/index.html
…ヌースアカデメイアの公式サイト。2011.1.18より更新停止。

○ヌースコーポレーションの公式サイト(http://www.noos.co.jp/
…半田広宣氏が社長を務める会社の公式サイト。

○ヌースコーポレーションのフェイスブック(https://ja-jp.facebook.com/nooscorporation
…半田広宣氏が社長を務める会社のフェイスブック。

○ヌーソロジーロッジ(http://ouroboros.sns-park.com/?m=portal&a=page_user_top
…ヌーソロジーに関心を持つ人たちのためのSNS(ソーシャルネットワークサービス)。

○facebookファンページ『Noosology Lodge』(https://www.facebook.com/Noos.Lodge
…フェイスブック内の「ヌーソロジーロッジ」。
  ヌーソロジーに興味ある人のためのSNSコミュニティ。

○ヌースDEシネマ(http://www.right-net.co.jp/ikiiki_03/
…半田広宣氏が自ら提唱するヌーソロジーをベースに独自の観点で映画解説するサイト。

○ヌーソロジー攻略研究会・公式ブログ(http://nooskoryaku.blogspot.jp/
…Φ=WHY?が代表を務める「ヌーソロジー攻略研究会」の公式ブログ。

○【R.T.】意識と身体と世界の再帰的三体論(http://r-ouroboros.blog.so-net.ne.jp/
…ヌーソロジーロッジの管理者であるRicardoさんのサイト。

○関西ヌーソロジー研究会・公式サイト(http://www.kansai-noos.com/
…川瀬統心氏が代表を務める「関西ヌーソロジー研究会」の公式サイト。

○川瀬統心氏のブログ「」(http://awakenavi.blog.fc2.com/
…川瀬統心氏によるヌーソロジー関連の記事および情報紹介。

○小野満麿氏のサイト「プロジェクト・メタトロン」(http://metatron.la.coocan.jp/
…半田広宣氏の友人の小野満麿氏のサイト。多面体関連の情報が豊富。

○小野満麿氏のブログ「METATRONIC METALOGUE」(http://metalogue.jugem.jp/
…半田広宣氏の友人の小野満麿氏のブログ。

○ヌースアカデメイアU-Stream TV
 (http://www.ustream.tv/new?lang=ja_JP#/channel/noos-academeia-tv
…ヌースアカデメイアの公式動画サイト。

○ヌースレクチャー 2009 オープニングテーマ
 (http://www.youtube.com/watch?v=KP2GoQ8c85g
…『NOOS LECTURE LIVE 2009-2010』シリーズDVDのオープニングテーマ。

○ヌースレクチャー in フィロソフィア2010(動画)
 http://www.youtube.com/watch?v=sGg2MSU3J4k
 http://www.youtube.com/watch?v=dYDyrdFLvSY
…2010年7月19日に東京で開催された第31回フィロソフィア第2部講演(16:00~18:15)
 「物質と精神を統合するための視座について――自己-他者における空間認識が孕む対称性の考察」の模様。

○ヌースアカデメイアYou Tubeチャンネル
 (http://www.youtube.com/user/NoosAcademeia
…ヌースアカデメイアのYouTube 公式チャンネル。

2013年5月22日水曜日

2. 今なぜヌーソロジーなのか?

「よくヌーソロジーは必要なのか?」と言う質問をする人がいますが、たいていの学問がそうであるように、必要であるかどうかは、その人がそれをどのように活かすかどうかということだけだと思います。例えば、自分の精神的な気分転換としてのエンターテイメントの一種として捉える人もいれば、これからの時代を生き抜くための一つの見方・考え方の指標のようなものとして捉える人もいるでしょう。チャネリングに焦点を当てる人もいれば、「素粒子空間は意識空間だ」などという一見奇妙な言説の中に、新たな真実につながるものを見つけ出す人もいるかもしれません。

では、今なぜヌーソロジーなのでしょうか?

ヌーソロジー(旧・ヌース理論)は、いろいろな紹介のされ方をされていますが、最も大胆なものは、「自然科学と人文科学(社会科学を含む)、さらには神秘学などまでをも統合するものだ」という言われ方をします。統合する「もの」という言い回しをあえて使ったのは、それを「学問分野」だとか「理論」と呼ぶには、世の中一般で言われるような本来の体裁がいまだに整えられていないからです。

ヌーソロジーは、半田広宣氏が1989年11月から1995年2月までの約7年間のオコツトと交わした交信情報記録をソースとして、その後何年もかけてその内容を解読し、それに人文科学や自然科学および神秘学の知識や最新情報などと関連付けて、一つの知の体系としてまとめ上げたものだと言えます。しかも、その知の体系はいまだなお日々更新中の産物であり、完成途上にあると言えます。

ヌーソロジー関連の書籍としては、1997年に徳間書店から『2013:人類が神を見る日』(半田広宣・著)の初版が刊行されて以来、1999年にはたま出版から『2013:シリウス革命』(半田広宣・著)、2001年には徳間書店から『光の箱舟-2013:超時空への旅-』(半田広宣・砂子岳彦・共著)が刊行されました。それ以降は、2008年に『2013:人類が神を見る日』の追加増補版が『超知ライブラリ SCIENCE 004 2013:人類が神を見る日 アドバンストエディション』が刊行されたぐらいで、全く新しい新著というものは刊行されていません。つまり、完全な新著としては、2001年の『光の箱舟』以来、実に12年も刊行されていないというわけです。

それにもかかわらず、今年は特にヌーソロジーが活気づいています。関西ヌーソロジー研究会による大阪・京都のヌーソロジー教室や、東京ヌース倶楽部をはじめ、滋賀県、長崎県、兵庫県などでも、ヌーソロジーに関する勉強会や情報交流会が行われています。そのほとんどが半田広宣氏が号令をかけたわけでも音頭をとっているわけでもない、各主催者が独自に企画した自主的に開催されている勉強会です。

一昨年まではそうした自主的な勉強会などはあっても頻度も少なく、集まってくる参加者の人数もまだまだまばらでした。それが昨年辺りからじわじわと勉強会の開催数も、参加者数も増え始め、今年4月からは毎月何らかのイベントが少なくとも複数回どこかの場所では必ず開催されるようになってきています。

この波は一体何なのでしょうか。

もちろん、今年が前述の既刊3部作のタイトルに冠する「2013」年だということは大きいと思います。しかし、そうは言っても、半田広宣氏が今年こそは「ガツーン!」と大きなことをやるぞとばかりにけしかけたわけではないのです。つまり、これは極めて自然発生的な波だとも言えるわけです。
そうした自然発生的にヌーソロジーの勉強会や情報交流会が増えてきた背景にはどんな意味が見い出せるでしょうか。ヌーソロジーの社会的役割とまで言ってしまえば少々オーバーになってしまいますが、まずはこんなことが考えられるのではないでしょうか。

それは。この私たちが暮らしていく社会において、何をやってもどの方向に向いても物事が足踏みさせられてしまうような空気感の中で、この状況をどうにか打開とまでは言えないまでも、少しでも改善できないものかと思うのは、政治家や企業経営者に限らず、ごく普通のサラリーマンや学生であっても同じだと思います。結局は、自分が取り組む一個一個のことを地道にコツコツやっていくしかないと思いつつも、何かもっといい方法はないものかと、書店で新刊をあさったり、ネット上で新しい情報を検索したりしている人も多いことでしょう。

そんな状況の中、このヌーソロジーが持つ世界観はいまだなお独特なものではないでしょうか。単なるトンデモなだけだと言われればそれまでですが、そこには私たちが共通に持っている「人間」であるがゆえの思考様式によって閉じ込められている閉塞感を超えるための、全く新しい物の見方だとか捉え方のヒントになりそうなものがふんだんに散りばめられているように思います。それは人間が新しい意識へとシフトしていくための一つの契機になるかもしれません。そんな可能性を感じて、まさに今、新たにヌーソロジーに関わる人たちが増えてきているのだと思います。

そういうわけで、私もこのブログを通じて「ヌーソロジー攻略研究会」という形で、ヌーソロジーに関わる機会を少し増やそうと考えています。

まずは、その第一弾というわけで、今週末の5月25日(土)に、第1回の「ヌーソロジー情報交流会」を開催致します。とっつきやすいように「Cafe 2013」という愛称を与えることにしました。

詳細は別途アップします。

1. ヌーソロジーとの出会い

ヌーソロジー攻略研究会のブログを始めることにします。

私が初めてヌーソロジーに出会ったのは、ヌーソロジーがまだ「ヌース理論」と呼ばれていた頃で、大型書店で平積みにされていた本を手に取ったときでした。その本の表紙は、紫と緑をベースとしたカラフルなものであり、その中央には、私の好きなオウムガイが描かれていて、まるで、そのオウムガイがどこか異次元空間でも飛行しているような、なんとも不思議なデザインでした。

何気なく手に取ったそのタイトルを見て、ギョッとしました。『2013:人類が神を見る日』。いかにも、胡散臭そうな、新興宗教色バリバリの感じがするタイトルだったからです。確かに、その大型書店の中でも、そこは精神世界やニューサイエンスの括りのコーナーでしたから、そこに平積みされていた新刊本が、そういう類の本だったとしても、全然不思議ではありませんでした。

そうした胡散臭そうな、新興宗教色バリバリの感じがするタイトルの本など、たとえ気まぐれで手に取ったとしても、一瞬中身を見たところで、たいていの場合、数秒後にはまた本を閉じて元の所に戻すのが普通でした。

元々私はそれほど活字が得意なわけではなく、よほど字体だとかイラストだとか本の構成などが読みたくなるような感じでないと、たとえその本の内容がとてもいい本だったとしても、なかなか読めない性格でした。

ところが、その本については事情が少し異なっていました。何だかわからないけど、引き込まれる魅力があったのです。

最初パラパラと本をめくると、オコツトだとかいうよくあるチャネリング本かと思いましたが、中ほどを超えた辺りで、なんとこの手の本には珍しい理系の数式が出てきたのです。チャネリング本と言えば、どちらかと言うと精神世界系の本ですから、数式はご法度とばかりに、せいぜい登場したとしても、アインシュタインの「E=mc^2」ぐらいです。ところが、この本に登場したのは、「自由電子の波動関数」という数式でした。

当時、物理学の一分野であった量子力学およびその前身とも言える前期量子論に関することは、せいぜいふんだんに図解で説明されている一般雑学書の類しか読んでいませんでしたから、そうした数式自体もなぜか斬新な感じで目に入ってきたわけです。

「いったいこの本は何なのだろう?」少し興味が湧いてきて、多少前後しながら頁をめくっていくと、「シュレディンガー・ルーレット」なる不思議な図が出てきました。その瞬間、私の頭の中には、2人の人間の間をなんだかわからない光の球がものすごい速度で行ったり来たりしながら転がっている運動が、動的なイメージとして浮かんできました。

ちょうどその前後の素粒子に関する説明のくだりが気になって、ようやくその本を書店のカウンターまで持っていって、購入することにしました。

だいたい私は、一冊の本を読むのに、何日も何週間もひどいときには何ヶ月もかけないと読めないぐらい、読書は苦手でした。正確には本を読むこと自体は好きだったのですが、文字自体はなかなか最後まで完読できないようなタイプの人間でした。でも、この本は何がそうさせるのか、比較的早く読み切ることができました。それは私自身も意外に感じました。

この一見怪しげな本には、まるで子供が喜びそうな感じのおもちゃがぎっしり詰まっているかのように、哲学・科学・神秘学の美味しそうなところが巧みに並べられていました。

中でも、素粒子物理学と関係の深そうな章の内容は圧巻きで、そこに登場する専門用語らしきものがわからなくても、何か整然としたエネルギーの秩序のようなものが、まるで心地よい心臓の鼓動のような躍動感をもって感じ取れたのです。

ただ、この本に登場する数々の用語は、当時の私にとっては非常に難解なものでした。まずはそのオコツトとか言うわけのわからない存在からのチャネリングをソースとする「シリウス言語」なるものは難解で、個別の単語だけでも難解な上に、単語同士の関連性もまた難解でした。それだけでも大変なのに、数学や物理学の専門用語まで登場して、悔しいことに、完全に理解するということに関しては、お手上げ状態でした。

でも、考えてみれば、この「理解できない悔しさ」がバネになったかもしれません。少し天の邪鬼な私は、どうしてもこの「ヌーソロジー」(当時はまだ「ヌース理論」と呼ばれていた)という恐ろしく厄介な代物と取っ組み合いたくなったのです。

それは1997年の春のことでした。