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2013年5月22日水曜日

2. 今なぜヌーソロジーなのか?

「よくヌーソロジーは必要なのか?」と言う質問をする人がいますが、たいていの学問がそうであるように、必要であるかどうかは、その人がそれをどのように活かすかどうかということだけだと思います。例えば、自分の精神的な気分転換としてのエンターテイメントの一種として捉える人もいれば、これからの時代を生き抜くための一つの見方・考え方の指標のようなものとして捉える人もいるでしょう。チャネリングに焦点を当てる人もいれば、「素粒子空間は意識空間だ」などという一見奇妙な言説の中に、新たな真実につながるものを見つけ出す人もいるかもしれません。

では、今なぜヌーソロジーなのでしょうか?

ヌーソロジー(旧・ヌース理論)は、いろいろな紹介のされ方をされていますが、最も大胆なものは、「自然科学と人文科学(社会科学を含む)、さらには神秘学などまでをも統合するものだ」という言われ方をします。統合する「もの」という言い回しをあえて使ったのは、それを「学問分野」だとか「理論」と呼ぶには、世の中一般で言われるような本来の体裁がいまだに整えられていないからです。

ヌーソロジーは、半田広宣氏が1989年11月から1995年2月までの約7年間のオコツトと交わした交信情報記録をソースとして、その後何年もかけてその内容を解読し、それに人文科学や自然科学および神秘学の知識や最新情報などと関連付けて、一つの知の体系としてまとめ上げたものだと言えます。しかも、その知の体系はいまだなお日々更新中の産物であり、完成途上にあると言えます。

ヌーソロジー関連の書籍としては、1997年に徳間書店から『2013:人類が神を見る日』(半田広宣・著)の初版が刊行されて以来、1999年にはたま出版から『2013:シリウス革命』(半田広宣・著)、2001年には徳間書店から『光の箱舟-2013:超時空への旅-』(半田広宣・砂子岳彦・共著)が刊行されました。それ以降は、2008年に『2013:人類が神を見る日』の追加増補版が『超知ライブラリ SCIENCE 004 2013:人類が神を見る日 アドバンストエディション』が刊行されたぐらいで、全く新しい新著というものは刊行されていません。つまり、完全な新著としては、2001年の『光の箱舟』以来、実に12年も刊行されていないというわけです。

それにもかかわらず、今年は特にヌーソロジーが活気づいています。関西ヌーソロジー研究会による大阪・京都のヌーソロジー教室や、東京ヌース倶楽部をはじめ、滋賀県、長崎県、兵庫県などでも、ヌーソロジーに関する勉強会や情報交流会が行われています。そのほとんどが半田広宣氏が号令をかけたわけでも音頭をとっているわけでもない、各主催者が独自に企画した自主的に開催されている勉強会です。

一昨年まではそうした自主的な勉強会などはあっても頻度も少なく、集まってくる参加者の人数もまだまだまばらでした。それが昨年辺りからじわじわと勉強会の開催数も、参加者数も増え始め、今年4月からは毎月何らかのイベントが少なくとも複数回どこかの場所では必ず開催されるようになってきています。

この波は一体何なのでしょうか。

もちろん、今年が前述の既刊3部作のタイトルに冠する「2013」年だということは大きいと思います。しかし、そうは言っても、半田広宣氏が今年こそは「ガツーン!」と大きなことをやるぞとばかりにけしかけたわけではないのです。つまり、これは極めて自然発生的な波だとも言えるわけです。
そうした自然発生的にヌーソロジーの勉強会や情報交流会が増えてきた背景にはどんな意味が見い出せるでしょうか。ヌーソロジーの社会的役割とまで言ってしまえば少々オーバーになってしまいますが、まずはこんなことが考えられるのではないでしょうか。

それは。この私たちが暮らしていく社会において、何をやってもどの方向に向いても物事が足踏みさせられてしまうような空気感の中で、この状況をどうにか打開とまでは言えないまでも、少しでも改善できないものかと思うのは、政治家や企業経営者に限らず、ごく普通のサラリーマンや学生であっても同じだと思います。結局は、自分が取り組む一個一個のことを地道にコツコツやっていくしかないと思いつつも、何かもっといい方法はないものかと、書店で新刊をあさったり、ネット上で新しい情報を検索したりしている人も多いことでしょう。

そんな状況の中、このヌーソロジーが持つ世界観はいまだなお独特なものではないでしょうか。単なるトンデモなだけだと言われればそれまでですが、そこには私たちが共通に持っている「人間」であるがゆえの思考様式によって閉じ込められている閉塞感を超えるための、全く新しい物の見方だとか捉え方のヒントになりそうなものがふんだんに散りばめられているように思います。それは人間が新しい意識へとシフトしていくための一つの契機になるかもしれません。そんな可能性を感じて、まさに今、新たにヌーソロジーに関わる人たちが増えてきているのだと思います。

そういうわけで、私もこのブログを通じて「ヌーソロジー攻略研究会」という形で、ヌーソロジーに関わる機会を少し増やそうと考えています。

まずは、その第一弾というわけで、今週末の5月25日(土)に、第1回の「ヌーソロジー情報交流会」を開催致します。とっつきやすいように「Cafe 2013」という愛称を与えることにしました。

詳細は別途アップします。

1. ヌーソロジーとの出会い

ヌーソロジー攻略研究会のブログを始めることにします。

私が初めてヌーソロジーに出会ったのは、ヌーソロジーがまだ「ヌース理論」と呼ばれていた頃で、大型書店で平積みにされていた本を手に取ったときでした。その本の表紙は、紫と緑をベースとしたカラフルなものであり、その中央には、私の好きなオウムガイが描かれていて、まるで、そのオウムガイがどこか異次元空間でも飛行しているような、なんとも不思議なデザインでした。

何気なく手に取ったそのタイトルを見て、ギョッとしました。『2013:人類が神を見る日』。いかにも、胡散臭そうな、新興宗教色バリバリの感じがするタイトルだったからです。確かに、その大型書店の中でも、そこは精神世界やニューサイエンスの括りのコーナーでしたから、そこに平積みされていた新刊本が、そういう類の本だったとしても、全然不思議ではありませんでした。

そうした胡散臭そうな、新興宗教色バリバリの感じがするタイトルの本など、たとえ気まぐれで手に取ったとしても、一瞬中身を見たところで、たいていの場合、数秒後にはまた本を閉じて元の所に戻すのが普通でした。

元々私はそれほど活字が得意なわけではなく、よほど字体だとかイラストだとか本の構成などが読みたくなるような感じでないと、たとえその本の内容がとてもいい本だったとしても、なかなか読めない性格でした。

ところが、その本については事情が少し異なっていました。何だかわからないけど、引き込まれる魅力があったのです。

最初パラパラと本をめくると、オコツトだとかいうよくあるチャネリング本かと思いましたが、中ほどを超えた辺りで、なんとこの手の本には珍しい理系の数式が出てきたのです。チャネリング本と言えば、どちらかと言うと精神世界系の本ですから、数式はご法度とばかりに、せいぜい登場したとしても、アインシュタインの「E=mc^2」ぐらいです。ところが、この本に登場したのは、「自由電子の波動関数」という数式でした。

当時、物理学の一分野であった量子力学およびその前身とも言える前期量子論に関することは、せいぜいふんだんに図解で説明されている一般雑学書の類しか読んでいませんでしたから、そうした数式自体もなぜか斬新な感じで目に入ってきたわけです。

「いったいこの本は何なのだろう?」少し興味が湧いてきて、多少前後しながら頁をめくっていくと、「シュレディンガー・ルーレット」なる不思議な図が出てきました。その瞬間、私の頭の中には、2人の人間の間をなんだかわからない光の球がものすごい速度で行ったり来たりしながら転がっている運動が、動的なイメージとして浮かんできました。

ちょうどその前後の素粒子に関する説明のくだりが気になって、ようやくその本を書店のカウンターまで持っていって、購入することにしました。

だいたい私は、一冊の本を読むのに、何日も何週間もひどいときには何ヶ月もかけないと読めないぐらい、読書は苦手でした。正確には本を読むこと自体は好きだったのですが、文字自体はなかなか最後まで完読できないようなタイプの人間でした。でも、この本は何がそうさせるのか、比較的早く読み切ることができました。それは私自身も意外に感じました。

この一見怪しげな本には、まるで子供が喜びそうな感じのおもちゃがぎっしり詰まっているかのように、哲学・科学・神秘学の美味しそうなところが巧みに並べられていました。

中でも、素粒子物理学と関係の深そうな章の内容は圧巻きで、そこに登場する専門用語らしきものがわからなくても、何か整然としたエネルギーの秩序のようなものが、まるで心地よい心臓の鼓動のような躍動感をもって感じ取れたのです。

ただ、この本に登場する数々の用語は、当時の私にとっては非常に難解なものでした。まずはそのオコツトとか言うわけのわからない存在からのチャネリングをソースとする「シリウス言語」なるものは難解で、個別の単語だけでも難解な上に、単語同士の関連性もまた難解でした。それだけでも大変なのに、数学や物理学の専門用語まで登場して、悔しいことに、完全に理解するということに関しては、お手上げ状態でした。

でも、考えてみれば、この「理解できない悔しさ」がバネになったかもしれません。少し天の邪鬼な私は、どうしてもこの「ヌーソロジー」(当時はまだ「ヌース理論」と呼ばれていた)という恐ろしく厄介な代物と取っ組み合いたくなったのです。

それは1997年の春のことでした。