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2016年1月27日水曜日

27. 等化の概念とそのイメージの描像

さて、ここで問題ですが、「等化」をどのように考えればよいかということです。そもそも「対化」する二項というのは、まさしく「対立項」でもあり、互いが互いにとって特殊な存在であるとも言えます。つまり、敵対関係にあるがごとく、全く違う立場にある存在であり、互いが互いを同等な存在として見ないとも言えます。こうした「対化」の関係にある二項が「たいして違わない、単なるバリエーションの違いでしかない」といった観点に立てることが「等化」ではないかと思うます。

少し抽象的すぎますので、例を挙げておきますと、「青」と「赤」というと寒色と暖色という感じで全く違う感じであり、「対化」的な存在だと言えますが、どちらも「色」という意味では「等化」されていると言ってもいいのではないでしょうか。「形」や「数」ではないが「色」の一種として「等化」できるというわけです。ではそれに対して「中和」はどんな感じかと言えば、「青」と「赤」を混ぜた色としての「紫」という「色」は「中和」と呼べるのではないかと考えます。ただし、「等化」と「中和」は互いに反転関係であると言われると、この色の喩えではピンと来なくなってしまいます。

あえて言うなら、「青」と「赤」で次の関係としてピンと来る色は、「緑」だと言えば、「光の三原色」の残りの一色であり、「黄」だと言えば、「色の三原色」の残りの一色です。この「光の三原色」と「色の三原色」をそれぞれ「見るための色」と「見られるための色」と名付ければ、「緑」と「黄」が「対化」の様相を呈してきます。

 次に、前述の「対化」の幾何学的描像の延長線上に「等化」の幾何学的描像を考えてみましょう。前述のように、+1と-1の「対化」の関係が「原点Oを中心とする180度の回転」で表せるなら、ちょうどその真ん中の「原点Oを中心とする90度の回転」(反時計回りを正とする90度の回転)というものはどういうことになるか考えてみます。


等化の描像(1)

通常、1から-1に至る過程の半分という意味では、「+i」が対応すると考えます。ここで登場する「i」とは、「虚数単位」です。
どういうことかと言うと、私たちが普通に使っている数というのは、「実在する数」という意味で「実数」と呼ばれます。この実数は2回掛け合わせる(2乗する)と必ず正の数になります。つまり、が実数であるなら、


というわけです。実際、


となって、正の数も負の数も2乗すると、正の数になります

ところが、あえてここで、


となる数xというものを考えます。すると、数学の2次方程式を解いたり、物理学の諸現象を説明する上で、とても説明しやすくなるのです。訳のわからない数を導入して説明しやすくなるとは、詭弁のようであるが、構造的には綺麗な説明ができるようになります。そこで、
となる数のうち、正の方を「虚数単位」と呼んで「i」と書く。つまり、あえて書くなら、

と定義するというわけです。これが「虚数」と呼ばれるのは、実際にはそのままではあり得ないような「虚」なる数だからです。あり得ない数が自然界にはあるのだから、これほどパラドクシカルな詭弁はないような気がします。その基準となる単位を、「虚数単位」と呼ぶわけです。これに対して、1は実数の基準となる単位であるから、「実数単位」と呼ばれます。
この実数単位を基準とする「実数軸」という数直線と、虚数単位を基準とする「虚数軸」という数直線を直交させてできる平面が、「複素数平面」(あるいは「ガウス平面」)と呼ばれる平面です。
すると、前述の「原点Oを中心とする90度の回転」というものは「実数軸を複素数平面上で回転する操作」ということになります。これは結果的に、「ある数に虚数単位iを掛ける操作」のことです。まとめると、
・ある数に-1を掛ける操作…複素数平面上での「原点Oを中心とする180度の回転」
・ある数に+iを掛ける操作…複素数平面上での「原点Oを中心とする90度の回転」
ということになる。


等化の描像(2)

果たして、この「原点Oを中心とする90度の回転」は「等化」と言っていいのでしょうか。疑問に感じるところです。実際、原点Oを中心とする反時計回りに90度の回転を4回続けると、一周して元の場所に戻ってきます。途中経過を見てみると、最初の90度の回転で、+1は+iになり、次の90度の回転で、+iは-1になり、続く90度の回転で、-1は-iになり、最後の90度の回転で、-iは+1になるということです。こうして、「原点Oを中心とする回転」の中で+1と-1を見た場合、それは既に対立項ではなく、単なる回転操作の一つのバリエーションでしかなくなっていることに気付くはずです。これこそが、「等化の本質」なのだと思います。

26. 対化の概念とそのイメージの描像

おもな二項対立
   

※最後の二項については、精神分析における厳密な症状としてはこの訳の当て方は今では正確でないが、直観的に捉えやすいために、ここではあえてこうしておく。

ヌーソロジーで登場する用語で大事なのはその「概念」です。よりヌーソロジー的に言えば「理念」(イデア)と呼んだ方がいいのでしょうが、一般の人にはピンと来にくいと思うので、ここでは「概念」と称することにしましょう。

まずは、ヌーソロジーにおいて、最も重要な概念とも言うべき「対化」です。「対化」という言葉を聞いて、みなさんは何を想像するでしょうか。何か二つの対立項を想像するのではないでしょうか。例えば、こんな感じです。表2.1に、ランダムに列挙してみました。

こうした具体的な対立項の列挙を眺めて、何となく「対化」のイメージが立ち上がってくるでしょうか。みなさんのアタマの中で、その何となく立ち上がってきたイメージこそ、ヌーソロジー理解のためには一番大事なのです。

次に、「対化」の最もわかりやすい描像と言えば、やはり幾何学的な図示ということになるでしょうか。その中でも最も簡単な描像は「数直線」を用いるものです。例えば、こんな感じです。対比のために、前述の負荷と反映の図示を少し変更して右に並べてみました。


対化の描像(1)

右の図の場合、例えば、A,B間が1km離れているとして、BAの向きを「正」とすると、ABの向きは「負」として、BA=+1kmAB=-1kmと表わすことができます。

これを数直線上で表してみます。数直線とは、直線に実数の集合を対応させたものであり、通常、中央に原点Oとして実数の「0」を対応させます。このとき、1という単位を決め、これを「物差し」(基準)にして、数直線上の計測を行います。方向については、右向きを「正」の方向と決めれば、逆方向の左向きが「負」の方向になります。例えば、正の方向に1という単位の2倍の大きさの位置をとれば、+2となります。同様に、負の方向に1という単位の2倍の大きさの位置をとれば、-2となります。

この表し方によれば、正の方向にaだけ位置付けされた+aは、原点Oから正の方向に大きさaの矢印として表せます。このような方向と大きさを持った量を「ベクトル」と呼びます。これと全く逆方向の負の方向にaだけ位置付けされた+aは、同様に、原点Oから負の方向に大きさaの矢印として表せます。前述のベクトルを「正のベクトル」と呼べば、負の方向のベクトルは「負のベクトル」となります。

これは簡単に言えば、原点Oを中心にして「正のベクトル」を180度回転させたものが「負のベクトル」となるということです。このことは、実数+aに-1を掛けて-aにするという計算が、「原点Oを中心とする180度の回転」であることを意味します。


対化の描像(2)

 したがって、ヌース用語の「負荷」を「正のベクトル」とすれば、「反映」は「負のベクトル」ということになります。こうした「負荷」と「反映」の関係性が「対化」というわけです。「対化」の最初の幾何学的な描像としては、とりあえずはこれで充分かもしれません。

25. ヌーソロジーの基本用語

さて、ヌーソロジーの用語は難しいと言い放った上で、まずは、そのヌーソロジーの最も基本的な用語をざっと説明しておきましょう。ヌーソロジーの提唱者である半田広宣氏の既刊の著書『2013:シリウス革命』(たま出版)(以下、『シリ革』と略す)p.28p.29からピックアップしてみましょう。

●負荷――存在を作り出すための第一の力のベクトルのようなもの。

●反映――負荷の反作用として生じる第二の力のベクトルのようなもの。

●対化――読んで字のごとく、「対に化ける」ということ。基本的には負荷と反映の関係性のことをいう。「存在は必ず二元性から生じる」などというときの「二元性」の意味のこと。

●等化――読んで字のごとく、「等しく化する」といった意味。オコツトからの交信においては、よく「対化の等化」という言い方で使用される。対化の等化とは、二元化したものを再び一元へ統合するというような意味である。

●中和――等化が生まれるときに自動的に生じる反作用のこと。等化の反対物。二元化したものを一元へと統合するときに、その反作用として等化作用自体を再び反映に持っていく働きのことをいう。

●精神――対化を等化する力そのもの。

●付帯質――精神の反対物。いわゆる対化の中和に生み出される力そのもの。別名、「こころ」とも呼ばれる。

こんな感じです。何となくわかったようなわからないような感じです。でも、ヌーソロジーを理解するのは、細かいことにこだわらず、まずはこの「何となくわかったような感じ」、これが大切なのです。この感触を大事にしながら次に進むことにしましょう。

『シリ革』p.29の欄外の註として描かれている「負荷」「反映」「等化」「中和」の図示がこれら4つの用語を理解する上で最もわかった気になれる図示です。4つ目の図として、4つの用語の関係を一堂に会したものを付加しておきました。

                 負荷・反映・等化・中和


不思議なことに、これらの図は、素粒子物理学における対称性として説明される、数学の代数学における群論のルート図形と呼ばれるものに非常に酷似しています。具体的に言えば、負荷と反映の関係は「電磁気力と弱い力(核分裂の力)を統合する対称性」であるSU(2)群のルート図形に、等化や中和は「強い力の対称性」であるSU(3)群のルート図形に、さらに等化と中和を組み合わせた図はSU(3)群の上位の群とも言うべき例外リー群G2群(八元数の自己同型群)のルート図形と非常に似ています。そのように見れば、こうした関係が素粒子物理学における宇宙の「4つの力」の統合というものと深く関係しているであろうことが想像できます。これらについての詳しい説明は、いずれ機会があれば述べることにしましょう。

24. シリウス言語とは? 

ところで、これまで、ヌーソロジーが「難しい」「理解しにくい」と言われていた一番の理由として、その独特な用語にあります。専門用語というものは、どんな学問の専門分野にも登場しますが、どの専門用語も、門外漢にとってはいつも理解しにくいものです。特に、この一般に「ヌース用語」とも言われる「シリウス言語」と呼ばれる用語の体系は、実にわかりづらいです。それは一つの言葉が文脈によって複数の意味を扱うからでもあります。

もちろん、そもそも言葉というものは様々な文脈によって意味が変化するのが当然ですし、その言葉に直接付随する絶対的な語意があるわけではなくて、むしろ他の関連用語および関連しない言葉との差異によって少しずつ意味が特定されていくようなものではないかと思います。つまり、差異のネットーワークにおける結節点のようなものが言葉の意味なのだというわけです。この辺りのことは、かの有名な言語学者であるフェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913)が「シニフィアン」(「記号表現」「能記」と訳す)と「シニフィエ」(「記号内容」「所記」と訳す)を使って説明していたと思います。

しかし、「ヌース用語」である「シリウス言語」が理解しづらい理由はそれだけではないようです。それは、この言語体系が、人間の従来の認識・思考などが築き上げている世界観を、その根底から解体しようとする言語でもあるからではないでしょうか。そのことは、ヌーソロジーのソースである「シリウス・ファイル」と名付けられた、半田広宣氏とOCOTと呼ばれる意識体との交信記録自身からも垣間見えてくるでしょう。実際、この交信記録を日付順に読んでいくと、その質疑応答の形態が異様であることに気付きます。簡単に言えば、体系できた質疑応答になっていないのです。それは半田広宣氏の誘導が下手だったとかいうことではなく、そういった人間独特の体系だった思考法を解体させようという狙いがOCOT側にあったからだと言われます。つまり、ある言葉の意味をつかむとき、その関連項目についても連鎖的につかもうとするのが人間の理解の仕方にとっては普通ですが、OCOTはそのような思考の連鎖を「π循環」と称して、それによってもたらされる意味文脈を何とか断ち切らせながら、全くの新しい概念体系を組み立てさせようと考えたからだと思います。

そこで、「シリウス言語」を理解しようとする場合、そうした人間独特の連鎖的な理解の仕方を十分考慮した上で、他の用語との関連をつかみながら理解していく必要があるのではないかと思います。逆に言えば、ヌースのソースが持つ独特の思考形態を読み解いていくようなスタンスで徐々にアプローチしていく方が理解しやすいのではないかということです。
一つのヒントとして、こんなアプローチがあります。以下の数列は、「フィボナッチ数列」と呼ばれる自然界によく見られる数列です。
1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 
この数列は、ある項をその1つ前の項で割った値が「黄金比

に近づくという特徴を持っているのですが、この近づき方が面白いのです。実際に計算してみると、こんなふうになります。


黄金比

の値を軸に、1つおきにその値より大きくなったり小さくなったりしながら、つまり、上下に揺れながら次第に黄金比へと収束していくのです。人間の理解の仕方というものも、実はその途上ではこんなふうな経路をたどっているのではないでしょうか。

そこで、私たちが今後ヌーソロジーを理解する場合も、滝の水が上から下へと流れ落ちてゆくような教科書形式的な「ウォーターフォール・モデル」方式をとらず、あっちへ行ったりこっちへ来たりといったある程度の振れ幅、つまり、振幅を持ちながら、波動のごとく揺れながら、何度も何度も同じところを回っているように進んでいく「スパイラル・モデル」方式に似たような感じで、理解していくのが一番妥当なのではないと思います。